ひがし茶屋街に比べれば
かなり小ぢんまりとした
にし茶屋街の一角に
当時の茶屋を再現した資料館があった
ベンガラで仕上げられた
赤い内装のインパクトが強かった
実は徳川二代将軍秀忠の娘が
この手鞠を携えて前田家に嫁ぐほど
親密な関係となっていて
江戸幕府内での扱いは「大大名」どころか
御三家に準ずる格式だったそうな
さすがの百万石である
電気のない時代に
録音と再生を追求した
技術者の執念が垣間見える
この時代はレコードを1枚聞いたら
針が交換になるという
その針圧たるや100gを超え
レコード盤もただでは済まなかったそうな
中海はそもそも浜名湖みたいな汽水域で
そこにつながる宍道湖は
さらに塩分が少ない汽水域
こういったことは行ってみないと
分からないものである
人に教えてもらわなければ
まず足を運ぶことはない
菅谷たたら山内(すがやたたらさんない)
ここで作られた高品質な鉄が
堺などを通して広く流通したそうである