ひがし茶屋街に比べれば
かなり小ぢんまりとした
にし茶屋街の一角に
当時の茶屋を再現した資料館があった
ベンガラで仕上げられた
赤い内装のインパクトが強かった
マル写と呼ばれた某地方大学の写真部に入って を出て からかれこれ50年。
思えば遠くに来たものだ。
写真小僧のナレノハテ
実は徳川二代将軍秀忠の娘が
この手鞠を携えて前田家に嫁ぐほど
親密な関係となっていて
江戸幕府内での扱いは「大大名」どころか
御三家に準ずる格式だったそうな
さすがの百万石である
電気のない時代に
録音と再生を追求した
技術者の執念が垣間見える
この時代はレコードを1枚聞いたら
針が交換になるという
その針圧たるや100gを超え
レコード盤もただでは済まなかったそうな
中海はそもそも浜名湖みたいな汽水域で
そこにつながる宍道湖は
さらに塩分が少ない汽水域
こういったことは行ってみないと
分からないものである
人に教えてもらわなければ
まず足を運ぶことはない
菅谷たたら山内(すがやたたらさんない)
ここで作られた高品質な鉄が
堺などを通して広く流通したそうである