ここ汽車道から見るヨコハマの夜景は
水の都の名に違わず
豪華で優雅なものである
ことしも無事過ごせたことに
感謝しつつ
大阪狭山市の水道ポンプ場の
敷地に立っている謎の電波塔
形状から推測するに電話の中継用途と
思われるが いろいろネットで調べても
全く情報が出てこない謎の電波塔だ
中央部右側の茶色の建物は
近畿大学附属病院
そのすぐ上には狭山池が見える
直線距離にして14km
とすると俺んちは画面下から1/3
左端ぎりぎりのあたりだ
クリスマスの夜には
電飾の船がよく似合う
来年の今頃は
向こうの船に乗っている
自分を想像してみる
飛行機の翼がなぜ揚力を
発生する原理はというと
諸説あるようですが 自分の中では
「空気(流体)の持つ悲しい性(さが)のため」
という結論になっています
まあ難しいことは置いといて
今日も飛行機は飛んでいます
大阪城の見どころは
鉄筋コンクリートの天守閣ではなく
実は石垣と掘割
かつては江戸城を凌ぐ規模だったとか
当時の土木技術恐るべし
近代建築との対比も美しい
雨の街角
どことなく昭和
「コーヒー」 が変なのは
恐らくご愛嬌
こんな景色が見られるのであれば
人々が集まってくるのは
致し方ない 薬王院山門前
高尾山を守る青銅三六童子のうちのひとつ
いずれも不動明王の眷属で
ひとりひとりが1千万人の従者をもつという
晩秋にはひと際美しくなる
東京を離れてはや一年ですが
秋の高尾を見たくて
今年も行ってきました
期待に違わず見事な紅葉でした
ここは麓のケーブルカー乗り場
ここがいちばんキレイでした
コンビニには及ぶべくもないが
全国に約900社を数える愛宕神社の総元締め
京都 愛宕神社の一の鳥居
お社はというと6キロ先の山の上
なんとも豪快な参道が始まる
1200体もあれば
自分に似た羅漢が
必ず見つかるという
そんな像を探しながら
時と戯れるのも悪くないぞ
愛宕念仏寺といえば千二百羅漢
なんでも彫った千二百人の参拝者が
奉納したものなのだそうな
境内にあふれる苔むした羅漢像たちは
まさに圧巻である
ちなみに化野念仏寺はすぐ近くにある
別のお寺 お間違えなく
愛宕念仏寺 絵馬堂の屋根の鳳凰
紅葉の季節はなんとなくここに行きたくなる
京都嵯峨野の奥すなわち奥嵯峨野の
いちばん奥の天台宗のお寺
ここまでくると観光客もまばら
逆にここに来る外国人観光客は
かなりの日本通のようだ
時間がゆっくりと流れている
風見鶏・・・と聞けば
我々オジサン世代は
さだまさしの 「風見鶏」
懐古趣味ここに極まれりの
40年前の彼のソロ2枚目のアルバムのこと
書きたいことは数々あるけど
見苦しいのでやめておく
「この国は一年に一度 魔法にかかる」
なんて四月に書きましたが正しくは
「二度」 ですね
簡単に育って
気のせいか虫もつかず
収穫高も大きい
とってもありがたい植物
我が家では ザワークラウトを作るとき
たくさん消費する
この国の人達は
何であれ一対二体あると
本能的に あ うん にしてしまう
金剛力士は言うに及ばず
神社の狛犬
木津の大国さんの狛ねずみ
そして延命寺の経堂(たぶん)の鯱鉾も
よくよく見れば左側の口が開いている
かなり苦しいぞ
これも延命寺
境内にあるお地蔵さん
なんでもご住職にクリソツなんだそうな
そんなことを知ってか知らずか
バッタが一匹戯れておりました
今年の紅葉 といっても
実は11月4日の延命寺
今年は猛暑と台風で
木が相当傷んでいて
綺麗なモミジは
ごく限られたアングルでしか
取ることが出来ない
実際はこんな悲惨な状態なんです
↓
↓
↓
↓
↓
岩湧山からみる関西国際空港と
件の連絡橋を望遠レンズで撮ってみる
肉眼よりくっきりと見えるのは
やっぱ面白い
周辺が暗いのは
安いレンズのせいだ
この辺りは春先に山焼きがあって
一面真っ黒の焼け野原になりますが
毎年秋になると黄金の茅場になります
遠くから見ると この色のため
岩湧山がすぐにわかります
その岩湧山の登山道も
ご他聞に漏れず台風21号のせいで
いたるところズタズタになっていました
このところ10年位で
大雨やら 台風やらで
山は目に見えて荒れてきています
南大阪屈指のススキの名所
岩湧山に秋が来ました
蒼き衣を纏って降り立ちたい
そんな気分
加太には深山砲台という砲台があって
大阪湾防衛にあたっていた
日本が「大日本帝国」だったころの話
据え付けられていた大砲は
その名も高き「28cm榴弾砲」
あの二百三高地に
無理やり持ち込んだ巨砲である
でもここまで敵艦の接近を許した時点で
戦局は決していると
誰か思わなかったんだろうか???
紀淡海峡は早朝から
数多くの釣り船が出ている
この白い旗を掲げた船は
ぜーーんぶ鯛釣り船
この人たちが頑張って
一日の水揚げは5〜6枚だそうな
高いはずです
加太で一泊して翌朝
友ヶ島の向こうに淡路島を見る
その名も 紀淡海峡
こんな狭い所 絶対に通れないと
思っていたのに
21号君はあっさり通り抜けたから
関西は大混乱と相成りました
日が沈んだあとに
西の空で輝くのは
関空に着陸する飛行機と
宵の明星です
いつまでも眺めていられます
まったくの主観ではありますが
「たそがれ」って言葉は
最近 あまり良い意味では
使われていないと思う
でも本当の「たそがれ」は
こんなシーンのことなんだな
琵琶湖の東岸とか
大阪湾の東側陸地は
西に開けているため
夕焼けの絶景ポイントが数多い
これは淡路島に沈む夕日
秋の日の一日の終わり
いつもの金剛駅
西口バス停から見る夕焼け
と思いきや
太陽に見える赤い丸は実は信号機
いやはや絶妙の位置にある
種明かしはこちら
↓
通天閣の下にあるビリケンさん
大阪のどこにでも居る人気者
憎めないですね
恵美須町駅の方から見る通天閣
高さ108mと近代の展望塔としては
控えめな高さであるが
逆に「手が届く」感があって
ディーーープなこの町に
よく合っていると思う
大阪にあるのでご他聞に漏れず
戦災にあって現在はすっかり
建物だけはモダンな四天王寺
実は特定の宗派に属していない
理由はとても簡単で
仏教がいろいろな宗派に枝分かれする
以前に立てられたから
創建6世紀(593年)は伊達じゃない
東大寺や延暦寺が8世紀
金剛峰寺が9世紀だから
古さのレベルが違いますねん
我らが大阪の誇る日本最古の
国立のお寺 「四天王寺」
正真正銘のお寺なのに
鳥居が ででーーん と立っている
何故か???
一説によれば
鳥居が神社のものと定まる前から
ここに立っていたそうな
ホンマカイナ
敦賀という町は
陸路は畿内と北陸への玄関口
回路は中国/朝鮮との玄関口
すなわち北方の要衝であった
・・・といった訳で実に立派な神社が
構えられている・・・
18きっぷの旅はいろいろと勉強になります
ちなみに 読み方は 「けひじんぐう」
ここはどこか というと
日本海側の敦賀火力発電所
大規模な石炭火力発電所である
見ての通り燃料の荷役のため
燃料が石炭であっても重油であっても
発電所は海沿いに造らざるを得ない
原子力発電所は大量の冷却水が要るため
やっぱり海沿いの立地
いずれにせよ地震や津波のリスクの
大きいところに建設することになる
個人的には この日本に住むために
甘受しなければならない
リスクのひとつだと思っている
「1」 ではなくて 「0」 をつけたところに
開発した人たちの心意気を感じたね
これは 彼らの到達点ではなくて
出発点だったんだ
事実 世界の高速鉄道は何らかの形で
この 「ゼロ」 と関わりを持っている
一つ前の新幹線500系はお察しの通り
京都鉄道博物館のものである
JRの大規模廃品陳列場
と言ってしまえば身も蓋もないが
このような展示物を見て
冒頭の言葉を思い出していた
ところが
この言葉は実は大きなマチガイで
従って言葉の使い方も大間違い
本当のセリフは
「飛
ばねえ豚はただの豚」
全く意味が違うでショ
日本語恐るべし !!
歴代新幹線の中でダントツの
格好良さを誇る500系
速さを追求したあまり
狭くなった室内と車両のお値段が
各方面の不評を買って
のぞみ就役期間10年ちょっと と
超短命に終わった最速の貴公子
アンドロイドのカメラの画作りは
どないもこないも ワザとらしいナ
なんて感想はさておき
これでも新世界にしては
平均的な景色です
琵琶湖就航の歌って
大津を出発して時計回りに
琵琶湖を巡る歌だって
今頃気づいた私さん
その歌の滅多に歌われない
「5番」が この彦根城でした
♪♪♪
矢の根は深く 埋もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇めば
比良も伊吹も 夢のごと
JR彦根駅の改札を出ると
デカデカと ひこにゃんのお出迎え
そして看板に書いてある
徒歩10分は偽りなし
いままであまり行っていなかったが
琵琶湖の周りの町は
結構 見どころが多い
次の18きっぷシーズンは
「琵琶湖周航の歌」ゆかりの町を
まわってみよう
江戸時代に各藩の大名が
競い合って作った庭園を
大名庭園というならば
この玄宮園は典型的な大名庭園
お城に居る殿様にしてみれば
さぞかし爽快だったと推察される
眺めは栗林公園に少し似ているかも
彦根城の天守から琵琶湖をみたとき
ああ この城のお堀は
琵琶湖の水だと実感した
その琵琶湖をレンタサイクルで一周する
コースがあるそうな
一度チャレンジしてみよう
そういえば彦根城も駅から見えるね
初めて行ってみたけど
規模は至って小ぶりながら
創建当時の木造建築のままの
姿を見ることができる
中の傾斜60度を超える階段は
結構スリルがあるよ
電車を撮るだけだと
いかにも殺風景なので
つい人を入れてみたくなる
物語は特にありません